道場に設置された、コタツに捥ぐって安静にしながらも、黙々と口頭だけの指示で、基本動作を理解し、直して稽古に励む門中達…。
有難い。昨日は寒い日曜日だった。
空手衣の中のハートは熱く…小さいながらも、支えようとしてくれているのが、静寂な空気からも伝わってくるので、言葉は要らない。
最小限のアドバイスのみである。
じっくり小手先の技に走るのではなく、本来の那覇手をじっくり基礎を教えていきたい。まだ幼いので、術は教えられ場ないものの、精神は誰よりも誠実である。誠実と真面目はイコールではない。
子供なりの、ON、OFFが有るのは当たり前。。。。大人の方が、案外、厄介です。(;'∀')
勝手に言い訳を並べて、出来ない事への理由をつける。最後はふてくされる。
子供は、従順である…。
現在の子供を軽視する大人に一言!
「私も含め、大人の方に問題あり!諸々欠落した部分がある」と小生は感じるのだった。
それが、言葉であるかもしれない、情であるかもしれない、、、何かが子供に伝わらないからなのだと思う。
最近、毎朝、病室から、日の出を見て、富士山を窓越しに…。そんな生活を送っていると、ふと思うのだ。
大したことではないと…。
自然は偉大だ…。北斎も同じ富士を見たのだろう…だが、「この目の前に広がる人工物は、きっ100年後には確実に存在せず、何かに代わってしまっているのだろう 」って。だが、人間は愚かではないとも思っている。
限りある人生だから、知恵を働かせ懸命に踠(もがく)のだろう。其れも一興!
その一人が支えあって、皆が居るのだ。
地面は、ずーーーーっと繋がっている事を、忘れてはならない!っと思う。
目先の小さな単位の人間関係に目を向けてばかりではダメなんだと思う。利己的な感覚では幸せにはなれない。
小生の周囲の人には、上記のような自然とそういった人が多いので、幸せなのだ。
本当の意味で、地球の裏側の人の事も知っていて、それを漠然としてでも解っていれば、優しくなれるはず。
本当の意味で、地球の裏側の人の事も知っていて、それを漠然としてでも解っていれば、優しくなれるはず。
白く化粧した富士の山を眺めつつ…大切な人々の安息を願う日々…でした。(落ちは無いw)
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